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D2 (D の食卓 2)

D2 Cover Art or Title Screen
Platform Dreamcast
Developer Warp
Publisher Warp
Released Dec 23 1999
Genre 3D Action, Adventure

© 1999 Warp

紆余曲折を経て、僕らが見たひとつの世紀末

3DO や Sega Saturn などで発売された 3D インタラクティブアドベンチャー "D の食卓" のシリーズ二作目に相当するタイトル。初代 "D の食卓" は、サスペンス的要素を持ったシナリオに*当時まだ珍しかった 3D 表現を合わせた、半ゲーム半ムービー的な内容で注目を集めた。

* 3D 描画のアドベンチャーゲーム...
3DO 版 "D の食卓" は 1995 年 04 月、SS 版は同年 07 月発売。そに先駆けた 1992 年、既に海外では "Alone in the Dark" (アローン・イン・ザ・ダーク … 米 Infogrames Entertainment 開発、同 Interplay Entertainment 販売。DOS 版から、3DO などにも移植された) という、3D アドベンチャーの礎的ゲームがリリースされており、それに影響を受けた形で "D の食卓" が登場したとも言えるだろう。
さらにその後、よりゲームとしての自由度を増した国産タイトルである "バイオハザード" (カプコン, 1996, 海外名 … Resident Evil) や "サイレントヒル" (コナミ, 1999) といった人気シリーズ群が生まれた。洋館を舞台としたホラーアドベンチャーであるバイオハザードについては、過去に発売元を同じくしてリリースされた "スウィートホーム the Famicom" (故伊丹十三氏総指揮によるホラー映画を原作としたファミコン用 RPG。1989 年末発売) の影響も大きいと聞くが、ともあれ国内における 3D ホラーアドベンチャーゲームの祖としての "D の食卓" の存在は、決して小さくはないものであると僕は思う。

制作元の Warp (ワープ) と言えば、当時のゲーマーならまず誰もが知るであろう、代表者の飯野賢治氏。1970 年東京に生まれて以降少年期よりコンピュータに親しみ、FC 全盛期にはゲーム制作会社に就職する。その後 89 年には下請会社 "EIM" として独立し、FC "ウルトラマン倶楽部 2" (バンダイ 1990) などの数本を制作。そして 94 年には "Warp" を設立、当時の最新鋭機 3DO へ参入して "D の食卓" を含む数本のタイトルをリリースしたものの、同プラットフォーム自体が衰退の道を歩むことになったため、その後 SS プラットフォームへ注力。宇宙船内で視認不可能な敵と闘う 3D アドベンチャーゲームの "E0" (エネミー・ゼロ) や、画面の無いゲームとして話題を呼んだアドベンチャーゲーム "リアルサウンド" 等をリリースした。CG や音楽に関する造詣も深く、雑誌広告にはじまる同社印刷媒体や、D2 を含むゲーム音楽の制作を自ら担当することもあった。
同氏はメディアへの露出も多く、ゲーム中の表現や出荷システムを巡る SCE 陣営との確執 (E0 も当初は PlayStation で発売予定だった) や、大手ゲーム誌上レビューにおける自社作品への煮え切らない評価に対する反論体勢などの行動でもその名を馳せ、良くも悪くも当時における業界の風雲児としての話題に事欠かない人物でもあった。
その後 Warp は 2000 年 "スーパーワープ" へ、さらに翌年には "fyto" へと転身したが、コンシューマゲーム制作の現場からは離れ、携帯コンテンツ制作などをはじめとする IT 関連業務を行なっている。

そんなこんなで当時話題のタイトルだったこの D2 も、実はまず 3DO 後継機である "M2" というハード向けに開発された物だったりする。しかし前述のように 3DO プラットフォームは崩壊し、M2 も幻のままに消えた。そこで飯野氏は Dreamcast プラットフォームでの D2 リリースを宣言すると共に、M2 版で完成されていた世界観やストーリーを刷新するという大胆な行為に出た。このような経緯の元、事実上まったくの新作として DC 版 D2 は生まれた。

ゲームは主人公ローラ (前作や E0 にも登場した、Warp の看板娘的女性キャラクタ) を中心とした、三人称視点を主軸に進む 3D アドベンチャー。
ゲーム開始直後に、ローラを乗せた旅客機がカナダ上空でハイジャック発生と落下する巨大隕石の接触を同時に受け、雪山へ墜落。その後ローラは、とある山小屋でキンバリーという女性の看護を受け目を覚ますが、事故の衝撃から記憶を失ってしまったことに気づく。そしてそこへ突如姿を現す異形のモンスター達。自らの記憶と脱出の道、そしてモンスター出現の謎を追い、ローラは雪山の散策をはじめる… といった内容で、ボリュームは GD-ROM 四枚分。飛行機の墜落を含む重要シーンではリアルタイムのムービーが展開する。

D2 Screen
タイトル画面

D2 Screen
ローラ御尊顔

雪山という、広大ではありながらもある意味閉ざされた空間でローラは生き延び、また脱出する道を探すことになるが、そこでは道を阻むモンスターとの戦闘および食料の確保なども必要になる。これらも全てアクション要素としてゲーム内に盛り込まれ、スノーモービル操縦や銃を使った狩猟や戦闘、そして写真撮影などの行動も可能となっている。

シナリオ、そしてゲーム自体に含まれた多くの要素。これらは確かにゲームをボリューム的に豊かにはするが、反面その核からユーザを遠ざけてしまう面もある。ゲームを進め、やがてエンディングを迎えた時に初めて、本作の発売を "2000 年を迎える前に" と急いだ飯野氏の真意もなんとなく見えたが、記憶を失った主人公 (劇中世界を知らないプレイヤーとの同調を狙った物だろうと僕には感じられた) を半ば強制的に引っ張り続けるシナリオや、視点の定まらないゲーム内容に対しては、なにか消化不良的なものも感じた。

どこかで読んだ飯野氏の発言に "自分はひとつの作品を突き詰めて 100% の完成度を求めるタイプではなく、70 - 80% のものを多く作り重ねる人間である" といった内容のものがあったと僕は記憶しているが、この D2 についての自己評価は実際いかなるものだろう。個人的にはまたいつか、よりスマートな "D の食卓" を見せてくれることを期待したいとも勝手に願っているが、無理な話だろうか。

20130428: 追記

2013 年 02 月 20 日、心不全により飯野氏は亡き人となってしまった。満 42 歳没。直接お会いした経験もないひとを、佳人と言いくだすことができる勇気も資格も僕にはないが、普通に考えてもこれは早すぎる逝去だろう。
日本のビデオゲーム業界が、現在よりもまだずっと大きな可能性と、それから "次世代" を生み出すための混沌の渦にあった中、瞬く間に名を上げた同氏。このスタートダッシュが皆の眼に焼きついた分、以降の活動は比較的見栄えがしないものとなってしまったが、創作活動の傍ら、人生相談や各種講演といった社会的活動も行なってこられたことは充分評価されて然るべきだろう。
制作者として、経営者として、表現者として、そして家庭人として。悔やまれる部分も多いが、長くも短くも思える 42 年という歳月に、幾多もの道を造り遺した人物として、同氏の名を深く胸に刻んでおきたいと思う。

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